筆鬼亭日乗~霊楽生活は向運への道

筆鬼亭主、サバトニアの日常感じたことアレコレと綴っていきます。

タグ:#永井荷風

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本日、12月3日は敬愛する永井荷風の誕生日。
同時に我が息子の32回目の誕生日でもあります(笑)
荷風と同じ日に生まれたということで、個人的にはまことに感激なる日になっております。
これからも健康で自分らしい好きな道を歩んでもらいたいと息子には思う次第であります

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まず読んで思ったこと。
本書は永井荷風の「断腸亭日乗」に書かれていることを要約したような構成になってる。というのが、読後感である。
孤独の楽しみ、孤独になることで生み出される仕事や人生への思いと行動。それが本書ではストレートに令和時代に見合った感覚で記されている。
しかし、孤独という言葉はある意味、やや暗いイメージがある。ひとりで何が悪い?そういった声を響かせていくのが、この本である。
そうとは言っても先に書いたように荷風の断腸亭日乗を熟読すれば、より孤独に向き合い、生活の中で、それをどう活かせるのかがわかる気がする。

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「天氣快晴。夜半空襲あり。翌曉四時に至りわが偏奇館燒亡す。火は初長埀坂の半程より起り、西北の風にあふられ忽市兵衛町二丁目表通りに延燒す。予は枕頭の窓火光を受けてあかるくなり、隣人の叫ぶ聲唯ならぬに驚き日誌及草稿を入れたる手革包を掲げて庭に出でたり。谷町邊にも火の手上るを見る。又遠く北方の空にも火光の反映するあり。火粉は烈風に舞ひ粉々として庭上に落つ。予は四方を顧望し到底禍を免るゝこと能はざるべきを思ひ、早くも立迷ふ烟の中を表通りに走出で、木戸氏が三田聖坂の邸に行かむと角の交番にて我善坊より飯倉に出る道の通行し得べきや否やを問ふに、仙石山より神谷町邊燒けつゝあれば行くこと難かるべしと言ふ。道を轉じて永坂に到らむとするも途中火ありて行きがたき樣子なり。時に七八歳なる少女老人の手を引き道に迷へるを見、予はその人々を導き住友邸の傍より道源寺坂を下り谷町電車通に出で溜池の方へと逃しやりぬ。」

これは永井荷風「断腸亭日乗」昭和20年3月9日の記述である。

この日、荷風は偏奇館を失った。

これまで集めた書物とともに家財一切を無くし、住む地を離れざる負えなかった。
そして、この日を境に荷風はミニマリストとしての道を歩むことになった気がする。
いわば偏奇館を無くすことで「断捨離」を行ったわけである。

戦時下ということもあり、その後は知人などを頼り、各地を渡り歩く。そういうことができたのも、それまでの作家としての実績があったからだと思うが、敗戦後の市川の生活を見ると、そこには山手のお坊っちゃん的な生活はなく、独り身の偏屈な老人の庶民の生活臭漂うものに変化した。
ある意味、荷風が目指した江戸戯作者的な生き方の到達点だったのかもしれない。
同時に偏奇館を無くしてからは必要最低限の物しか持たず、常に大量の現金が入ったバッグを持ち歩く。文化勲章までもらった人物にしては、まさに庶民的。いや、下層の民の生活空間で息吹いて生きたように思う。
そういう面で今でいうミニマリスト的な晩年を送ったように見える。

偏奇館焼失という大きな断捨離によって荷風の中で生活環境の見直しが行われたのではないか?と思う。
令和の今だからこそシニア世代は改めて永井荷風の生き方を学び、感じ取る必要性があると考える。

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正月休み最後の日。
朝、起床して、その寒さにブルブル。
思い立って部屋の軸を以前購入した江見水陰の軸【雪の上】と題されたものに変更
「子犬来い 相撲取ろうか 雪の上」
と…そうご存じの通り江見水陰は「国技館」の名づけ親。相撲を国技と称した人物なのである。
み7

またこの軸は生田耕作氏のご子息、生田敦夫氏の所蔵であったもので生田文庫の印が箱にはある。
そういう所縁のある作で生田耕作なら永井荷風!と思い立ち、天気もよかったから外出することに。
それで向かったのは三ノ輪橋。
地下鉄とバスを乗り継いでいく。

投げ込み寺で知られる浄閑寺だ。
み4


ここにある永井荷風の歌碑を久々に見に来たというわけ。
み2

正月休みの最後の日はこうして終わったのでありました!
み3


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どうも文章を書く仕事をしていると、必ず欲しくなるものがある。
それが…
砂糖と肉である。
砂糖は言わずとも身体が疲労した時に欲しくなるものだという。
が、身体ばかりではなく、脳にも必要なものであるのだろう。
かの文豪、永井荷風はコーヒーの底にびっしり砂糖が残るくらいに入れていたそうだし、作曲家、伊福部昭もまた紅茶やコーヒーを飲む際には砂糖を多くいれていたとか。漫画家の手塚治虫も常にチョコレートを手元に置いていたというから、頭を働かせる作業に砂糖は必要不可欠なものなのかもしれない。

同時にもうひとつ欲しくなるのが肉だ。
とにかく集中して書く作業を行っている時には魚よりも肉が欲しくなる。
不思議でたまらないのだが、とにもかくも肉類を食べずにはいられない。
作曲家渡辺宙明もまた「年齢を重ねるごとに肉が欲しくなる」と言うし、映画監督の黒澤明、木下恵介もまた肉類を好んで食べたという。
肉類を食べることで精力的な活動を行い、また長生きであるのも、肉のパワーを得ていたせいであろうか。
読書するにも力が求められ、そういう食事も関係してくるような気がしてならない。

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